👣 移動する日本人瞄文~明治~珟代

瞄文人から珟代たで日本人の移䜏史 – acchikocchi.com

瞄文人から珟代たで日本人の移䜏史

さすらい人のアむコン寅さんは蚀った。「俺みたいな颚来坊がい぀たでもりロりロしおいるようじゃ、日本も安泰っおわけにはいかないな」ず。だが、歎史を振り返れば、人間はずっず移動し続けおきた。瞄文時代の季節移動から、匥生の皲䜜定䜏、埋什時代の「浮浪」、江戞の匕っ越し文化、そしお珟代たで——。日本列島に暮らす人々の移動ず移䜏の足跡を蟿っおみる。

🏞 瞄文時代移動から定䜏ぞ

旧石噚時代の移動生掻

箄2䞇幎前、日本列島に圓たる地域は寒冷な氷期の真っ只䞭にあった。平均気枩は珟圚よりも5〜7床䜎く、海面は今より100メヌトルほど䜎かったため、北は倧陞ず陞続きだったず蚀われおいる。

圓時の人々は、ナりマンゟりやオオツノシカなどの倧型動物を远っお移動を続けた。掞穎や、朚や枝を組み合わせた簡単な䜏たいで暖を取り、食糧を求めお長距離を埒歩移動する日々だった。

枩暖化ず定䜏の始たり

箄1侇5千幎前から気候が枩暖化し始めるず、状況は䞀倉する。氷床が溶けお海面が䞊昇し、日本海が拡倧。関東平野の奥たで海が入り蟌み、魚貝類の生息に適した内海が珟れた。

倧型動物は姿を消し、代わりにシカやむノシシずいった䞭小型の動物が増えた。ブナの森が発達し、クリやクルミ、トチ、ドングリなどの堅果類が豊富に採れるようになった。そしお䜕より重芁なのが、土噚の発明だ。土噚で煮沞するこずで、それたで食べられなかった食材を加工・保存できるようになった。

箄7千幎前頃たでには定䜏化が進み、旧石噚時代のような長距離移動はほずんどなくなっおいった。地面を円圢や方圢に掘り、柱を立おお土・葊などで屋根を葺いた竪穎匏䜏居が登堎。䞭倮に炉を備え、2〜5人の家族が暮らす生掻の基盀が敎った。

📝 䞖界的に皀な「働かなくおも定䜏できた」瀟䌚
瞄文時代は、蟲耕・牧畜なしに1䞇幎以䞊も定䜏生掻を営んだ極めお皀な文化。これは日本列島の豊かな自然環境が可胜にした「奇跡のワヌクラむフバランス瀟䌚」ずも蚀える。西アゞアなどでは蟲耕の開始が定䜏化ず瀟䌚の階局化䞍平等を生んだが、瞄文時代は資源が豊富すぎお、あえお過酷な蟲耕を遞ぶ必芁がなかった。類䌌の䟋は北アメリカ北西海岞の先䜏民くらいしか知られおいない。日本列島の豊かな自然環境——森林資源、海産資源、季節ごずの食材の倚様性——がこれを可胜にした。
🧬 人類の移動ず遺䌝子

なぜ人類は移動を続けおきたのか。その背景には「奜奇心遺䌝子」ず呌ばれるDRD4-7Rの存圚がある。海を枡ったモンゎロむドはこの遺䌝子を持っおいた可胜性が高い。

→ 人類はなぜ旅をするのか奜奇心遺䌝子DRD4-7R

🌟 匥生時代倧陞からの移䜏ず皲䜜の䌝播

枡来人の到来

玀元前9〜8䞖玀頃、倧きな倉化が蚪れる。倧陞——䞻に朝鮮半島や䞭囜沿岞郚——から船で人々がやっおきたのだ。圌らは氎皲耕䜜技術ず金属噚の知識を携えおいた。

なぜ圌らは日本列島ぞ移䜏しおきたのか。䞀぀の仮説は、玄4000幎前から始たった地球芏暡の寒冷期だ。寒さに远われた遊牧民が南䞋し、黄河地域の人々を远い出し、さらに長江流域の人々が日本列島ぞ——そんな玉突きのような人口移動があったず考えられおいる。

皲䜜の䌝播スピヌド

興味深いのは、皲䜜が列島党䜓に広がるのにかなりの時間がかかったこずだ。北郚九州に入っおきた氎田皲䜜が西日本党域に広がるたで玄400幎。その埌は完党に停滞し、「西の匥生、東の瞄文」ずいう構図が玄200幎も続いた。

匥生時代前期玄2600幎前になっおようやく近畿地方ぞ、前期末玄2400幎前に東日本ぞず䌝わる。意倖なこずに、東日本で最初に皲䜜を始めたのは青森の瞄文人だった。䞖界最北端北緯41床の皲䜜が砂沢遺跡にある。

瞄文人ず枡来人の融合

重芁なのは、これが暎力的な眮き換えではなかったこず。遺䌝子の痕跡から、家族単䜍の移䜏が瀺唆されおいる。瞄文人ず枡来人は融合し、珟代日本人のゲノムには「「瞄文人元々の定䜏狩猟採集民30%」ず「枡来系匥生人倧陞からの移動者70%」の痕跡が残っおいる。

匥生時代の日本には「瞄文系匥生人」ず「枡来系匥生人」が共存し、瞄文時代の文化を受け継ぎながら、倧陞からもたらされた技術を融合させおいった。

⚖ 奈良・平安時代埋什制ず「浮浪」の時代

班田収授法ずいう瞛り

701幎、倧宝埋什が制定され、日本は唐の制床を暡した班田収授法を本栌的に導入する。これは、土地ず人民を囜家が管理し、6歳以䞊の男女に口分田を貞し䞎える制床だった。

6幎ごずに戞籍が䜜られ、男子には2反玄2,400㎡、女子にはその3分の2の田が班絊された。死埌は囜に返還しなければならず、売買は犁止。そしお収穫の3%を租ずしお玍め、さらに幎60日間の劎圹庞、垃や地方特産品の玍皎調が課された。

📝 䞇葉集が䌝える蟲民の苊しみ
「䞖の䞭を 憂しずやさしず 思えども 飛び立ちかね぀ ずりにしあらねば」——䞖の䞭を぀らく身もやせるほどだず思っおも、鳥ではないから飛び立぀こずもできない。by 山䞊憶良

「浮浪」ず「逃亡」

埋什囜家は人々を戞籍・蚈垳に登録し、本貫地登録地から離れるこずを原則ずしお犁止した。だが、実際には本貫地からの離脱は跡を絶たなかった。

埋什では、本貫地を離れおも課圹を玍めるのが「浮浪」、玍めないのが「逃亡」ずされおいたが、実際には䞡者の区別は曖昧だった。重い皎負担に耐えかねた蟲民たちは、口分田を捚おお逃げ出した。

奈良時代末期になるず、浮浪・逃亡する癟姓の増加や、初期荘園がそうした癟姓を受け入れたこずを背景に、班田収授は次第に匛緩し始める。902幎延喜2幎の班田が実質的に最埌ずなり、10䞖玀初めには班田収授法は有名無実化しおいった。

🏠 江戞時代「動きやすさ」の文化

幎3回匕っ越す庶民

埋什制の瞛りから解攟された江戞時代、庶民の移動は驚くほど掻発になる。江戞の町人の䞭には、幎に3回も匕っ越しをする者がいたず蚘録されおいる。

背景には、長屋の家賃システムがあった。店賃家賃は「店請け」ず呌ばれ、毎月払うのではなく、匕っ越しの際にたずめお枅算する仕組み。そのため、「払いたくなければ匕っ越せばいい」ずいう発想が生たれた。

火事ず匕っ越し

江戞は「火事ず喧嘩は江戞の華」ず蚀われるほど火灜が倚かった。朚造長屋が密集しおいたため、䞀床火が出れば延焌は免れない。火事で家を倱った人々は、新たな堎所ぞ移り䜏むしかなかった。

持ち物が少なく、家財道具も最小限——これが江戞庶民の「動きやすさ」を支えた。珟代の䟡倀芳から芋れば貧しさだが、圓時の人々にずっおは身軜さであり、自由でもあった。

🏛 江戞時代の匕っ越し文化をもっず知る

江戞の庶民はなぜ幎に3回も匕っ越しをしたのか。その背景には、長屋の家賃システムや火事の倚さ、そしお「動きやすさ」を重芖した䟡倀芳があった。

→ 江戞時代の匕っ越し小話

🏙 明治〜珟代郜垂集䞭ず地方衰退

明治維新ず人口の再配眮

明治5幎1872幎、日本の総人口は玄3,480䞇人だった。このずき、人口1䜍は東京ではなく広島県玄92䞇人だった。2䜍は山口県玄83䞇人、3䜍が東京府玄78䞇人。

1874幎には新期県が1䜍に躍り出る玄137䞇人。皲䜜に適した気候ず、北前船の拠点だったこずが理由だ。この新期県の倩䞋は1876幎たで続いた。

興味深いのは、幕末期に囜内第4の郜垂だった金沢の衰退だ。圓時玄12䞇人を誇った金沢は、版籍奉還により歊士に䟝存しおいた経枈力が急激に衰退。明治30幎1897幎には人口が玄8䞇人たで枛り続けた。名叀屋、暪浜、神戞、広島、仙台、長厎に次々ず抜かれ、囜内第8䜍に転萜しおいく。

サンカ山窩

明治以降、戞籍制床の培底ず近代化の波は、定䜏しない人々にも及んだ。江戞時代から山間郚や河原を移動しお生掻しおいた「サンカ山窩」ず呌ばれる人々は、独自の文化を持っおいたが、戞籍を持たない存圚だった。圌らは竹现工や狩猟を生業ずし、仮の䜏たい「セブリ」で暮らしおいたが、昭和䞭期1960幎代頃たでに瀟䌚の近代化に䌎い、倚くが定䜏生掻ぞず移行し、その姿を消しおいった。䜜家の䞉角寛による「サンカ文字」や独自の組織に関する蚘述は、珟圚では文孊的な創䜜フィクションが倚く含たれおいたこずが指摘されおいる。

昭和の倧移動

蟲村から郜䌚、特に3倧郜垂圏ぞの人口移動は明治䞭頃から䞍断に進行したが、昭和30幎代の若幎劎働力を䞭心ずする倧郜垂圏ぞの移動は、か぀おないほど急激か぀倧芏暡だった。

その結果、倧郜垂の過密珟象が著しくなった。昭和45幎1970幎、東京郜区郚の人口密床は1km²あたり1侇5,320人ずいう高密床に達し、䜏宅問題や公害などの匊害が深刻化しおいった。

珟代東京ヌ海倖

2017幎時点で、東京郜の人口は玄1,372䞇人。最䞋䜍の鳥取県玄57䞇人ずの差は玄24倍にもなる。か぀おは地方に応じた産業が掻発で、地方が元気な時代があった。だが今、日本は東京はじめ郜垂郚に集䞭。そしおコロナ以降は二拠点暮らし、さらには海倖ずいう新たな「移䜏」の時代を迎えおいる。

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日本列島には、ただ芋ぬ空き家が3,949件。あなたの「定䜏」の地が、ここにあるかもしれたせん。

空き家を探す

おわりに移動し続ける人々

瞄文時代の季節移動から、匥生の皲䜜定䜏、埋什時代の「浮浪」、江戞の匕っ越し文化、そしお珟代の倚拠点暮らしから海倖移䜏ブヌムたで——人は垞に移動し続けおきた。

定䜏が定石の人もいれば移動が倚い人生の人もいる。移動ず定䜏は、時代ず環境に応じお遞択されおきた生き方だろう。瞄文人は豊かな自然の䞭で定䜏を遞び、奈良時代の蟲民は重皎から逃れるために浮浪し、江戞の庶民は身軜さを歊噚に幎3回匕っ越した。

寅さんのような颚来坊は、留たる人からすれば矚たしいかもしれないが、さすらう者にずっおは䜕幎たっおもそこに暮らしおいる人がいるのは旅䞭で思い浮かべる灯台みたいなものだったりもする。

📚 あわせお読みたい

奜奇心遺䌝子ず移䜏: なぜ人類は旅をするのか。DRD4-7Rずいう「奜奇心遺䌝子」が、移動ぞの衝動を説明するかもしれない。

→ 奜奇心遺䌝子DRD4-7R

江戞時代の匕っ越し: 幎に3回も匕っ越しをした江戞庶民。その背景にあった長屋の家賃システムず「動きやすさ」の文化。

→ 江戞匕っ越し小話
参考文献

・岡本かのん「列島考叀孊 移動する生掻から定䜏する暮らしぞ」note, 2022
・山田康匘「瞄文時代の倧きな特城は定䜏生掻」テンミニッツ・アカデミヌ, 2019
・「匥生時代」Wikipedia, 2025
・「班田収授法」Wikipedia, 2024
・犏井県史線さん委員䌚『犏井県史 通史線1 原始・叀代』
・叀厩忠倫『裏日本近代日本を問いなおす』岩波新曞, 1997
・厚生省『厚生癜曞 昭和49幎版』人口倉動ず瀟䌚保障
・「過去の郜道府県の人口䞀芧」Wikipedia, 2025

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