住居の進化史|洞窟から超高層ビルまで

人類は、住む場所を変えてきた。洞窟に住み、竪穴を掘り、高床式住居を建て、平地に家を建て、そして超高層ビルに住むようになった。

2万年の歴史の中で、人間は「住む」ということを、どう変えてきたのか。そして、なぜ変える必要があったのか

目次

🏔️ 洞窟時代(50万年前〜)

人類最古の住まい

人類が最初に住んだのは、洞窟だった。北京原人(約50万年前)の遺跡では、火を日常的に使った跡がある。調理もしていたのではないかと言われている。

洞窟は、自然が用意した住居だった。雨風を防ぎ、外敵から身を守り、火を焚けば暖かい。人間は、何も作らずに住めた。

だが、洞窟には限界があった。洞窟がある場所でしか住めない。洞窟の数には限りがある。人口が増えれば、洞窟だけでは足りなくなる。

そこで、人間は自分で住居を作り始めた。

🏚️ 竪穴式住居(約2万年前〜平安時代)

地面を掘って住む

竪穴式住居は、地面を円形や方形に掘りくぼめ、壁や土間の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居だ。

最古の例:大阪府藤井寺市のはさみ山遺跡(約2万2000年前)
最後の例:東北地方では室町時代まで、江戸時代の島原の乱でも使用

構造
・深さ50〜60cm(北海道では2.5mの例も)
・広さ10〜20㎡(ワンルームマンション程度)
・1家族2〜5人で暮らす
・中央に炉(または壁際にかまど)
・柱を立て、茅や土で屋根を葺く

なぜ竪穴を掘ったのか

竪穴式住居には、明確な利点があった。

1. 保温性
半地下の空間は、夏は涼しく、冬は暖かい。地面は断熱材として機能する。

2. 建築の容易さ
穴の側面を壁として利用するため、新しく壁を立てる必要がない。

3. 材料の入手
柱は栗の木(直径20cm程度)、屋根は茅や樹皮——すべて周囲で手に入る。

4. 防風
地面を掘ることで、風の影響を受けにくい。

竪穴式住居の進化

縄文時代早期

平面が円形または楕円形。屋内に柱穴や炉をあまり伴わない。

縄文時代中期〜晩期

中部・関東地方で「敷石住居」が登場。床に石を敷く。

弥生時代

地床炉のみに。規模が大きくなり、壁立式(柱を並べて壁とする)も登場。

古墳時代(5世紀)

かまどが登場。炉から壁際のかまどへ。

平安時代

近畿地方で「平地住居」が普及。地面を掘らずに床として使う。貴族の住宅様式、寝殿造が確立。

鎌倉時代

武士の「武家造り」と庶民の「掘立柱建物」に分かれ、実用性と防衛意識が大きく反映される。武士は寝殿造りを簡素化した武家造り、庶民は床のない竪穴式住居や掘立柱小屋に住む。

室町時代

畳や襖など、和室の原型が書院造の建造が始まる。武士階級を中心に、床の間・違い棚・机などの装飾的な要素が登場。東北地方では室町時代まで寒冷な気候に対応した機能性の高い竪穴式住居が利用された。

竪穴式住居の欠点

竪穴式住居は、優れた住居だった。だが、欠点もあった。

1. 湿気
湿気が内部にこもる。10年ほどで建て替えが必要。

2. 水害
低地では水が溜まる。土手や溝を掘って対策したが、完全ではない。

3. 耐久性
耐用年数は約20年。恒久的な住居ではない。

体験談

以前、縄文時代の文化を再現する会に参加していた

たしかに竪穴式住居は大体1年でガタが来て

ほぼ毎年建て替えていたように記憶する

🏡 高床式住居(弥生時代〜)

地面から離れる

弥生時代、高床式住居が登場した。地面に柱を立て、その上に床を作り、屋根を架ける。床は地面から高い位置にある。

高床式住居は、湿気と害獣から守るための住居だった。特に、米を保管する倉庫として発達した。

有力者は高床式住居に住み、住まいは単なる生活の場にとどまらず、権力や富の象徴となった。

🏘️ 平地式住居(平安時代〜)

地面を掘らない

平安時代、近畿地方で平地式住居が普及した。地面を掘らず、地上に直接建築する。

平地式住居の登場は、建築技術の発展を示している。壁を立て、床を作り、屋根を架ける——すべてを自力で作る必要があった。

町家の登場

平安時代、京都で「町家」が建てられ始めた。これは商家の店舗兼住宅として建築され、土間と床座の2室が基本だった。

土間は、煮炊きをする場所。床座は、生活する場所。この「土間」と「床座」の構造は、現代の京町家にも残っている。

🏯 江戸時代の住居

身分によって住居が分かれる

江戸時代、住居は身分によって大きく異なった。

武士:屋敷
商人:町家(店舗兼住宅)
農民:農家(茅葺き、土間と床座)
貧困層:長屋(狭小住宅)

山上憶良の『貧窮問答歌』(奈良時代)には、粗末な住環境と苦しい貧困生活が詠われている。江戸時代になっても、貧困層の住環境は厳しかった。

🏙️ 明治〜現代

明治時代

欧米様式の導入。椅子座、腰掛式便器、ベランダなどが登場。

大正時代

中廊下型住居が普及。南側に客室・居室、北側に台所・浴室・納戸。

1920年代

「生活改善同盟会」が「住宅の改善方針」を発表。椅子式の導入、家族本位の間取り、衛生重視。

1924年

同潤会設立。関東大震災後、東京・横浜に鉄筋コンクリート造のアパート建設。

戦後

公営住宅の大量建設。団地の時代。

現代

高層マンション、タワーマンション。地面から数百メートル離れた場所に住む。

洞窟から超高層ビル、その先へ

人間は「恒久性」を追い求め、空高く石を積み上げた。だが、千年以上風雪に耐える法隆寺のような木造建築に比べれば、精密な設備で固めたビルの「100年」という寿命は、案外短く、儚いものかもしれない。

結局、住居の進化とは「完成」に向かう一本道ではなく、その時々の人間が「どう生きたいか」を形にしてきた試行錯誤の軌跡なのだろう。

最新のビルを見上げ、あるいは古びた空き家の梁を見上げる。そうして古今東西の住まいに触れるとき、ふと自分の存在が肯定されるような安堵感を抱くかもしれない。わたしたちは見知らぬ人々からの数珠繋ぎの文化の上に確かに立っているのだ。

🏡 住居の歴史を感じる場所で暮らす

町屋、文化住宅、デザイナーズマンション——日本には、住居の歴史が残っている。竪穴式住居はもう住めないが、江戸時代の町家、大正時代の洋館、昭和の団地には、今も住める。歴史を感じる場所で、新しい生活を始めませんか?

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参考文献

・竪穴式住居 – Wikipedia
・「竪穴式住居は意外と快適? 実は江戸時代まで使われていた」趣味時間

・「日本の生活」刀剣ジャパン
・「洞窟住居から超高速住宅まで 日本の住まいの変遷」めぐりジャパン
・「民家の歴史 ―庶民の住居変化―」LIQ|株式会社 TAKAYASU
・「縄文時代の”竪穴住居”を知れば、火と水、土との暮らしかたが見えてくる」SuMiKa
・群馬県埋蔵文化財調査事業団「竪穴住居ってどんな家?」

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このブログを書いた人

家と民俗学と旅が好きで移動暮らししてた人

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