関東で葬儀に参列した人が、関西で火葬に立ち会うと驚く。「なぜ、骨を全部拾わないのか?」——関東では、骨を全部拾う。粉になった骨まで、すべて骨壷に入れる。だが関西では、喉仏を中心に一部だけを拾い、残りは火葬場に委ねる。
骨壷のサイズも違う。墓石の色も違う。カロート(納骨室)の位置も違う。同じ日本なのに、なぜこんなに違うのか。その背後には、「死」に対する根本的な考え方の違いがある。
| 項目 | 関東 | 関西 |
|---|---|---|
| 収骨方法 | 全骨収骨(粉まですべて拾う) | 部分収骨(喉仏中心に一部のみ) |
| 骨壷サイズ | 7〜8寸(直径約21〜24cm) | 3〜5寸(直径約9〜15cm) |
| 墓石の色 | 黒御影石が多い | 白御影石が多い |
| カロート(納骨室) | 地上カロート(地面より上) | 地下カロート(地面より下) |
| 墓石の形 | 水鉢と香炉が別々 | 水鉢と香炉が一体 |
| 花立の高さ | 水鉢と同じくらいの高さ | 高い位置 |
なぜ関西は骨を全部拾わないのか
関西の「部分収骨」の理由
1. 本山納骨の習慣
関西では、奈良・京都を中心に宗派の総本山が多い。古くから、喉仏を「本骨」として本山に納める習慣があった。本山納骨のために喉仏を中心に拾い、残りは火葬場に委ねた。
2. 火葬場が墓地に隣接
関西では、火葬場が墓地の敷地内や墓地に隣接することが多かった。火葬後、そのまま埋葬するため、骨を全部持ち帰る必要がなかった。
3. 明治の通達が届かなかった
明治6年(1873年)、「火葬禁止令」が出された。2年後に廃止されたが、その際「火葬された遺骨は全て持ち帰るように」との通達が出された。この通達が関西には行き渡らなかったと言われている。
関東の「全骨収骨」の理由
1. 明治の通達が行き渡った
明治時代、「火葬された遺骨は全て持ち帰るように」との通達が関東には行き渡った。その結果、骨を全部拾う習慣が定着した。
2. 火葬場が離れている
関東では、火葬場が墓地から離れていることが多い。火葬後、遺骨を持ち帰り、後日納骨する。そのため、骨を全部持ち帰る必要があった。
🏯 西日本:「死は穢れ」文化
西日本、特に京都では、「死は穢れ」として捉えられてきた。そのため、死者を居住区から離す習慣が根付いている。
京都の三大葬送地
化野(あだしの)
身分:一般庶民
場所:現在の嵯峨野
特徴:平安時代、庶民の遺体を風葬(野ざらし)にした場所。現在は化野念仏寺があり、約8000体の石仏・石塔が並ぶ。
鳥辺野(とりべの)
身分:裕福な人々
場所:現在の清水寺周辺
特徴:貴族や裕福な人々の葬送地。風葬が行われた。
蓮台野(れんだいの)
身分:主に皇族
場所:現在の船岡山周辺
特徴:皇族の葬送地。風葬が行われた。
西院(さいいん)は「最果て」のもじり?
京都の西院(さいいん)という地名は、「最果て」の捩りという噂がある。
平安京の西の端に位置する西院は、かつて葬送地に近かった。京都人にとって、「西院より西」は「最果ての地」「賽の河原」——つまり、死者の世界に近い場所として認識されていたという説がある。
実際、西院周辺には古い墓地が多く、「西院」という地名自体が「西の院(寺院)」を意味するとも言われている。
西日本の「穢れ観」
西日本では、死を「穢れ」として忌避する文化が強い。
- 火葬場を居住区から離す
- 葬送地を「最果て」に設ける
- 遺骨を地下カロート(地面より下)に納める
- 白御影石(清潔感)を好む
- 骨を全部拾わず、火葬場に委ねる
⛰️ 東北:「死者と共に生きる」文化
一方、東北では、死者を身近に置く習慣が根付いている。
家の軒下埋葬
東北の一部地域では、家の軒下や敷地内に遺体を埋葬する習慣があったと言われている。
理由:
・死者を身近に置き、共に生きる
・冬は雪で外出が困難なため、家の近くに埋葬
・死を「穢れ」ではなく「自然の一部」として捉える
生活圏内の墓地
東北の一部地域では、家の軒下や敷地内に遺体を埋葬する習慣があったと言われている。
東北では、墓地が生活圏内にあることが多い。田んぼの中、畑の横、家の裏——死者が「そこにいる」ことを前提とした配置だ。
東北の「共生観」
東北では、死者と共に生きるという考え方が強い。
- 家の軒下や敷地内に埋葬
- 生活圏内に墓地を設ける
- 遺骨を身近に置く(仏壇に安置など)
- 死を「自然の一部」として捉える
- 骨を全部拾い、大切に保管
なぜ東西でこんなに違うのか
仮説1:仏教の影響
西日本、特に京都・奈良は、仏教の中心地だった。仏教では、「死は穢れ」として捉えられる側面がある。そのため、死者を居住区から離す習慣が根付いた。
一方、東北では、古来の自然信仰(アニミズム)が色濃く残っている。自然信仰では、死は「自然の一部」であり、死者は「祖霊」として身近に存在する。
仮説2:気候・地理
西日本は温暖で、遺体の腐敗が早い。そのため、衛生面の理由で遺体を居住区から離す必要があった。
東北は寒冷で、冬は雪で外出が困難。そのため、家の近くに埋葬する方が合理的だった。
仮説3:土地の広さ
京都は平地が少なく、人口密度が高い。そのため、葬送地を「はしの方」に設ける必要があった。
東北は土地が広く、人口密度が低い。そのため、生活圏内に墓地を設ける余裕があった。
「死は穢れ」と「死者と共に生きる」——この2つの考え方が、東西日本の埋葬文化を分けた。同じ日本なのに、死に対する向き合い方が、こんなにも違う。
関西人は、骨を全部拾わない。「残りは火葬場に委ねる」——それが、関西の「距離」感。東北人は、骨を全部拾う。「死者を身近に置く」——それが、東北の「共生」観。
気候と距離と文化。ふと思った。関西人は一般的にノリがよいと思われている。関西人は生きている人との距離が近く、東日本の人は一見シャイだが死んだあとの人との距離も近いのかもしれない。どちだが正しいわけではない。同じで違う日本の面白いところ。
🏡 きっと見つかる
同じ日本でも東と西で異なる文化。住んでみて初めて知ることも。だからおもしろい。
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参考文献
・「意外と知らない?関東と関西のお墓・葬儀の違い」樹木葬なら松戸家
・「関東と関西とでここが違う、葬儀・供養・お墓」お墓きわめびとの会
・「関東と関西の『お墓事情』」のうこつぼ
・「部分収骨とは?東日本と西日本の葬儀文化の違いと背景」葬儀の口コミ
・「地域によって異なる葬儀の風習を紹介」小さなお葬式

